恋の始まりを告げる鐘。

Ding dong dong












「あなた、私と付き合いなさい!」


 校内が食事や雑談で賑わう昼休み。
呼び出された俺が言われた言葉はこれだった。
目の前には、真っ赤になって上目遣いにチラチラとこちらの様子を窺う少女。
手はもじもじと忙しなく動き、彼女の嗜好品らしい猫を模したイヤリングに触れる。
何故、こんなことになってしまったのだろう。

 目の前にいる少女は、容姿端麗・頭脳明晰・運動神経抜群と三拍子揃っている少女だ。
しかし、性格極悪・喧嘩上等の時点で相殺されているというトンデモ少女でもある。
それが校内でも知らない者のいない、至上最凶のお嬢様『工藤 あやな』なのだ。
正直、俺は好かれる理由が分からない。
見当もつかないし、それに……周囲の好奇の目が痛い。
彼女は、目立ちすぎる。良くも悪くも。
このまま好奇の視線の中……返事をするのはヤバイ。
特に……『あやな親衛隊』の野郎どもの目が危険だ。
あれは俺を殺す気だ。人殺しの目だ。

 場所を移動しなければ……と俺はあやなの手をとって風のように走り出した。
「い、いきなり……?」とか「おー!」とか余計な騒音が聞こえたが知るものか。
俺はこの場から逃げたい一心で、学校をフケた。
この行動が今後の俺の運命を分けるとも知らずに。
そもそも……俺の運命なんて決まってたのかもしれないが。



















 高校の近くの公園。
誰もついてきていないことを確認すると俺は安堵した。
しかし、あやなは安堵することも無く口をパクパクとさせている。
片手で胸の部分を押さえ、必死に動悸を沈めているようだ。
コレくらいの距離で疲れるようなやつじゃないと思うんだが……。


「おい、疲れたのか? 大丈夫か?」

「あの、あの……手、手がぁ」


 其処で俺もやっと気づいた。
彼女の手をしっかりと握ったままだったことに。
俺がパッと手を離すと、名残惜しそうな感じであやなも手を引いた。
微妙な沈黙。
手……柔らかかったな。
思わずそんなことを考えて慌てて首を振った。

 そして冷静に今までの自分の行動を振り返る。
告白現場から手を引いて移動。
多数の目撃者がいる中、学校を脱出。
愛の逃避行などという陳腐な言葉が浮かんだ。
これでどう転ぼうとも、親衛隊のやつらに殺される。
思わず天を仰いだ。
皮肉なまでにさんさんと輝く太陽が見える。
嗚呼、父さん母さん……先立つ不幸を許してくれ。


「そうそう……聞きたいことがあるんだが」

「な、何よっ……」


 強がって見せるが、頬が紅潮していては迫力など微塵も無い。
可愛い……などと思ってしまった自分を脳内削除しつつ。
一番聞きたかった疑問をぶつけてみることにした。
この事態に至る発端。
つまり……


「何で俺なんかのことを好きになったんだ?」


 そのことがそもそも怪しいのだ。
あやなに言い寄る男は掃いて捨てるほどいた。
名家のお嬢様で、美人なのだからいないほうがおかしい。
それらの歴戦の女たらしの口説き文句を文字通りキックで一蹴したからこそ最凶と言われるのだが。
俺なんて、顔は普通のラインだ。
運動神経が良いわけでもない。
部活も帰宅部。
正直、自分で言うのも悲しいがモテる要素が一つも無かったのだ。


「それは……。
 昨日の、ことなんだけど……」


 ぽつりぽつりとそのときの状況を語り始めるあやな。
そして俺も徐々にそのときのことを思い出してきた。
それは……そう、昨日の昼休みのこと。

















 昨日の昼休み。
クラスでも指折りの五月蝿い女が騒いでいた。
話題とは、あやなについて。
その女と取り巻きは、言い寄る男を次々と一蹴するあやなに嫉妬していたのだろう。
あやなへの罵詈雑言を並べ立てて笑っていた。
クラス中に響くような、聞くのも嫌になるような言葉の数々。
その女は、あやなの友達と言われていた女だった。
あやな自身もそう思っていると聞いていた。
しかし本人がいないのを言いことに、その信頼を裏切ったその女。
そして女の言葉が「死ねばいいのにね、あんなヤツ」とまで言った。
その言葉に……俺はキレたのだった。


「おい……テメェ」

「……? なによ」


 露骨に顔を顰めるその女。
その態度もまた、癪に障った。
自分の言うことが正しいと信じて疑わない態度。
気づけば、俺は声を張り上げて叫んでいた。


「あやなとかいう女はテメェを友達と思ってんだそうじゃねぇか。
 なのにその言葉はなんだ!?
 テメェのそういう性格があるから顔までブスになるんだよ。
 其れを僻んで『死ねばいい』だぁ?
 寝言は寝て言えってんだよ!
 あやなより、テメェが死んだほうがよっぽどためになるぜ」


 言いたいことだけ言ったとき、教室は静まり返っていた。
俺は怒りのままに鞄を手に持つと、そのまま教室を出た。
一部始終を……あやなは見ていたらしい。
そして、俺の言葉を聴いたとき。
その瞬間が今回の事の発端だったらしいのだ。


















「確かに……あったな。そう言えば……」


 普段では言えないようなことを、そのときの俺は言っていた。
単に、俺がキレていたからだ。
今日学校に着いたとき、男には好意的に。
そして女子に不愉快そうに迎えられたのも昨日のことが原因だった。
こんなことになるなど、夢にも思っていなかったが。

 状況説明をしているあやなの表情を見ることもしていなかった俺。
聞かずとも思い出せたし、気恥ずかしかったからだ。
ゆっくりとあやなの表情を見て……驚いた。
彼女は、泣いていた。
本当に嬉しかったの、と呟きながら。
そのとき、やっと気づいた。
どんなに強がろうと、実際どんなに強かろうと……彼女も女の子なのだということに。
其れと同時に、俺は眩暈のするようなほどに目の前の少女に愛しさを感じた。

 俺が守ってあげないと。彼女の心を。

 そんな思いが満ち溢れて。
彼女を抱きしめていた。
恋愛は人並みに経験していたと思う。
しかしこんなに人を愛しいと感じたのは初めてだった。
きっと、これが恋なんだと漠然と思う。
激情のまま、囁く。


「分かった……俺が傍に居るよ。
 泣きたくなったら、胸を貸してやるから。
 だから泣くな。綺麗な顔が台無しだぜ?」


 額に軽く口付けて。
頭を撫でてやると……うっとりとした様子で身体を預けてくる。
細く、柔らかい身体。どこから男を蹴り飛ばす力が出てくるのかと思うほど。
これが俺の……彼女なんだな。
そう思うと、愛しさが一層こみ上げた。

 そして、どれくらいそうしていただろう。
胸から彼女が離れた。
照れたように背を向けて、もじもじとしている。
普段の彼女からは想像できないような態度。
どれだけの男が、この姿を見たいと思っただろう。
それが俺だけのために……と思うと自分が誇らしくなった。
風が吹き、彼女の綺麗な黒髪を靡かせて。
風と共に、彼女が振り向く。


「これから……よろしく頼むわね。
 大丈夫よ、あなたに仇成すものは全部蹴り倒してやるからねっ」


 照れ隠しのように、蹴る真似をしてみせる彼女に微笑を向けて。
恋の始まりと午後の授業の始まりを告げるチャイムを聞きつつ。
答えを返した。


「とりあえず……午後どうするか決めるか」












END










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