光と陽だまり、出会うとき。
Where is heaven?
「なあ…僕たちは何なんだろうね。
なんでこんなことになると思う?」
その問いを向けられているのは、足元の瀕死の子犬だ。
問いを向けているのは……ボロボロの学生服を来た少年。
少年は、慈しむように犬を優しく撫でている。
周囲には、崩れかけた家や血まみれの遺骸。
自分も状況を理解しているわけではない。
しかし、空を見れば嫌でも見て取れる。
青かった空が割れて……伝承や神話でしか見ないような魑魅魍魎が降りてきている。
それは悪夢のような確かな現実だった。
歪な笑みを浮かべて、少年は声にならぬ呟きを漏らす。
少年の心は荒野のように荒れ果て、疲れきっていた。
世界中で起きていた悪夢。
地球の『ウィルス』人間を削除するための地球自身の自衛行動だ、と偉そうな学者がテレビで行っていたのを思い出す。
しかし、そんなことを言えるのは他国の事態だったからだ。
目の前の事態となってしまえば、この少年のような言葉しか言えまい。
何故だ、と。
「ねぇ、君…これも戦争だと思うかい?
だったら、あいつらも僕も兵士なのかな…。
あいつらみたいに、羽でもあるように飛べっていうのかな?」
問いに答えられる生命体は、既に周囲にはいなかった。
目の前の異形を生命体としなければ、だが。
少年の耳に、笑い声が届く。
それは目の前の悪魔のものか。
それとも、少年自身の笑い声か。
唇を歪める悪魔。
その唇は、ルージュをひいたかのような色。
真っ赤な真っ赤な……少年の血の色。
「痛い…痛い?
ねぇ、なんで僕の腕がないの?
痛い、痛い……いやだ、死にたくないよぉぉぉぉぉぉ!!」
悲鳴はやがて断末魔へと変わり、響くのは肉を租借する音のみになる。
嘲笑のようにその翼を広げ、悪魔は次の獲物を求めて旅立った。
死体の山に震えながら隠れる少女に気づくことなく……そのまま。
少女は、ただ……隠れることしかできなかった。
何故、こんなことになったのか。
ただの肉片に成り下がった少年と同じ問いを何度も反芻しながら。
「おい、こんなところにいたら食い殺されるぞ。
死にたくなけりゃ、ついて来い」
目の前の青年に、言葉を浴びせられるまで震え続けていた。
亀裂が見て取れる空は……もう既に夕闇に染まっていた。
夕闇に照らし出される青年の顔は、少女の目には酷く綺麗に見えて。
這い出した瞬間、青年に抱きついていた。
青年は少女が泣き止むまで、ゆったりと髪を撫でていた。
優しく、不器用に。
どれだけの時間がたっただろうか。
少女が泣き止む頃には、周囲には夜の帳が広がっていた。
焚き火の前で、少女は思考する。
この状況を。この絶望を。
静寂を破り、青年が切り出した。
「何を考えているのか、当ててやろうか。
何故こんなことになったのか。
何故こんな化け物が現実にいるのか。
こんなところだろう?」
良く響く青年の声。
青年の声には、どこか感情の起伏が感じられない。
無愛想とはどこか違う。
押し隠した悲しみ、だろうか。
その瞳には、火が映りこんでいるのだろうか。
真紅の瞳が見て取れた。
吸い込まれそうな、綺麗な瞳が。
青年の言葉は続く。
「この状況になった経緯は、正直誰にも分からないだろう。
一つ分かることは……少なくとも、生き残るためには戦うしかないこと。
そして……俺がその力を持っていることだ。
対魔の能力『パーソナル』。
能力者、『パーソナリティー』はあいつらと戦うために生み出された人工の兵士なんだ」
目の前の青年を思わず凝視する少女。
この青年に、そんな力があるとは思えない。
少女の疑惑の目に青年は苦笑を浮かべた。
どこか雰囲気が硬くなる。
荒唐無稽な話をされて、少女の混乱は増していた。
少女を落ち着かせようと、青年はにっこりと笑んで見せる。
「変身ヒーローよろしく強力な身体能力があるわけじゃないがな。
こういう、力だ」
青年が手を振りかざせば、手が光に包まれる。
その光は瓦礫の一つを包み……そして瓦礫が消えた。
手品でも見たような表情の少女に、青年はもう一度笑む。
少しだけ、悲しげに。
「パーソナルの一つであり、最強の異能力たる『ルシフェル』だ。
全てを消し去る異能力。
そう……さっきのように。
そして……」
青年が素早く振り向き、光を背後へと向けた。
其処には光に溶けていく一匹の魍魎。
いつの間にか、周囲は魔の巣窟となっていた
。
怯えの声を漏らす少女に、青年は笑んで見せる。
怯えるな、とでも言うように。
「今のようにな。
其処に居ろ。やつらは火を嫌う。
俺がこいつらを片付ける……」
青年の優しい声。
何故、と問いたかった。
何故見ず知らずの自分を助けてくれるのかと。
その問いを発するまもなく、青年は闇に消えてしまった。
魑魅魍魎たちと共に。
少女は、祈ることしか出来なかった。
自分を助けてくれた青年の無事を。
無力な自分に涙を流しながら、ただ祈り続けた。
「……さて、俺はお前たちが嫌いだ」
青年は開口一番、憎々しげに言葉を紡いだ。
青年の瞳は、言葉の調子通り憎しみに満ちている。
光を纏い、憎しみを告げる青年の姿は魍魎と同じ雰囲気すら漂うかのように。
両手をクロスさせ両側へと広げる。
光の粒子が広がり、カーテンのように優しく広がる。
しかし、その優しげな光とは裏腹にこの粒子は全てを飲み込む無情の光だ。
「お前らが『来る』、なんて予告をするから……俺はこんな身体にされた。
記憶がなくなった。居たかも知れない家族のことも全く分からなくなった。
お前らが……お前らが居るから」
静かな口調と共に吐き出されるのは、怒りの呼気だ。
『こいつらがいなければ』
この世界に『もしも』はない。しかし、許されるのなら。
もしも、コイツらが来なければ青年は平穏な生活をしていただろう。
施設に閉じ込められることもなく。
実験に次ぐ実験の阿鼻叫喚を見ることもなく。
自分の光で消えていく人間なども見ずに済んだだろう。
目の前の化け物が、来なければ。
そう思ったとき、青年の思考が白く弾けた。
怒りは力へと……光へと昇華する。
全てをなぎ払い、無へと帰還させる光へと。
光が…青年の周囲に満ちる。
「消えろ……消えろォォォォォォ!!」
光を振るいながら、敵へと突っ込む。
拳と共に振るわれる光跡が敵を消し去っていく。
鎧のように身体を纏った光は、敵の攻撃も通さない。
少女が見た青年の姿は、悲しいダンサーに見えた。
記憶を消され道具として作られた悲しき人形。
その舞踏は、悲しみが花を添えたかのように美しさで満ちていた。
そして…少女が青年に駆け寄ろうと思い立った頃には化け物の姿はなくなっていた。
憔悴しきった青年を、少女はただ抱きしめただけだった。
傍目から見れば、少女が抱きついているだけにしか見えないだろう。
しかし少女は……抱きしめていたのだ。
青年の心を。
青年が目を覚ましたとき、少女は隣で寝息を立てていた。
化け物が襲ってこなかったことに安堵しつつ、警戒もせずに寝ていた自分を叱責した。
青年が目を覚ましたのとほぼ同時、少女が目を覚ます。
青年を見上げ、少女はにっこりと微笑んだ。
「おはようございます。
自己紹介、してませんでしたよね? 私は久美。伊藤 久美(イトウ クミ)です。
あなたは……蘇芳(スオウ)さんで構いませんか?」
「……え?」
少女の問いの意味を図りかね、間抜けな声を漏らす青年。
その様子に、久美と名乗った少女はくすりと笑った。
歳相応の笑み。
恐怖もなく……信頼を寄せているような。
「昨日の言葉……聞いちゃったんです。
呼びにくいかなって思って考えたんですけど、駄目ですか……?」
青年は、小さく笑んで頷いた。
そして呟く。ありがとう……と。
この瞬間、青年は生きる目的を見つけた
。
この笑顔を……少女を守ること。
たとえ命尽き果てようとも。
久美に改めて笑みを向ける蘇芳。
その笑みは晴れやかであり……美しかった。
少女の心を奪うほどに。
ここから……新たな世界への扉が開いたのだった。
『光の守護者』と、『陽だまりの少女』が出会った、この瞬間から。
空はどこまでも青く……割れ砕け。
しかし其処から見えるのは、希望に感じられた。
END